新潟への想い。その1
今日はちょっと昨日に続いて、今度の娘。春ツアー新潟紺に向けて、いろいろ書きたいと思います。
まず、MBPって何?という方もいると思いますので簡単に説明しますと、MBPとは「Makoto Birthday Project」の略で、まこちの誕生日をみんなでお祝いしましょうという目的で2003年の夏ごろに始まったと思います。
サイトの現在のアドレスはhttp://f40.aaa.livedoor.jp/~makobp/mbp.index.htmlになりますので、興味のある方はご覧になってください。
で、自分はその頃ちょうどまこちの個人サイトを立ち上げたばかりだったんですけど、ある時偶然MBPを見つけて、自分もみんなと一緒にお祝いしたいと思い、9月ごろMBPに入りました。
翌月のまこちのお誕生日はみんなで集まってオフ会を行って普通にお祝いして終了。
その後、おとめ紺の日程で翌年(2004年)2月、新潟テルサで初の凱旋紺が開催されることが分かり、MBPとして何か出来ないかといろいろ話し合って、コンサート会場でまこちをお祝いしようということになり、ここでうちらが呼んでいるマコ祭りというものが初めて行われました。
その後、10月の大阪城ホールでの生誕紺、翌年(2005年)4月の新潟県民会館での凱旋紺、9月の新潟テルサでの凱旋紺、10月の千葉県文化会館での生誕紺と、毎回MBPなりにいろいろ企画を考えてマコ祭りを行ってきました。
で、ここまでうちらなりに祭りを成功させるために精一杯頑張ってきたこともあって、昨年の千葉紺の時にこれで一区切りつけようとみんなで言ってたんです。
自分としてはこれまでマコ祭りを行ってきて、嬉しい思い出はたくさんありますけど、それとともに辛い思い出もありました。
最初のうちは勢いでやっていたんですけど、毎回コンサの1〜2ヶ月前くらいから会議を開いて何をするかいろいろ考えたり、みんなで作った企画が失敗したらどうしようとかネガティブになることもたくさんありました。
そんなMBPに転機が訪れたのは昨年春、7期メンとして小春ちゃんがメンバーになった時でした。
あの発表は確か新潟県民でのマコ祭りが行われた翌週だったと思いますが、2度目の凱旋紺が牛祭りとかで大成功に終わった直後ということもあって、みんな一斉にショックを受けました。
何故なら言うまでもなく、小春ちゃんが新潟県出身だったからです。
自分もこの結果を知って、正直ヲタ辞めようかと思うくらいショックを受けました。
小春ちゃんがメンバーになったことによって、新潟ではもうまこちの凱旋紺は出来なくなるだろうし、どうせもう出来ないんだったらヲタ辞めた方がましだということで、その7期メン発表の日のオフ会でMBPのみんなにもう辞めるってずっと言ってたんです。
あの時は正直、小春ちゃんが大嫌いでした。発表後に武道館でお披露目があった時、3回とも小春ちゃんがステージいた時は全くステージは見ませんでしたし(実話です。連番された方は見てますから。)
別に小春ちゃん自身は全然悪くないんですよ。そんなことは分かってます。でも、まこちと同じ新潟県出身ということで、自分はどうしても彼女をメンバーとして受け入れることは出来ませんでした。たぶんこんなに極端に小春ちゃんを嫌っていたのは、MBPでは自分だけでしょうけど。
その後秋ツアーの日程が発表され、予想通り新潟でも行われることになり、今度はどうするか、MBPでいろいろと話し合いました。
で、結論として、まこちと小春ちゃん2人の凱旋紺としてお祝いしようということになり、「マコ祭り」から「マココハ祭り」に名前を変更してお祭りの企画を考えようということになりました。
そして、新潟テルサでのマココハ祭りは無事大成功で終わることが出来たと思います。
はっきり言って話し合うまでは乗り気ではありませんでしたけど、小春ちゃんを無視してまこちだけをお祝いしたら小春ちゃんだけでなくまこちにもいやな思いをさせてしまうし、もう決まってしまったことなんだから、前向きに考えて小春ちゃんも一緒にお祝いしようと段々思うようになって、自分も微力ながら協力させていただきました。
長くなってしまったので今日はここまでにしますが、最後に、今はもう小春ちゃんに対するわだかまりは一切ありません。同郷として、まこちと共に娘。で頑張ってほしいと心から思っています。